徳山医師会病院について

博愛病院時代

  • 梅原 亨

徳山医師会病院の源は、オープンシステム博愛病院にある。博愛病院は、日本最初のオープン病院として、昭和22年11月2日創設されたのであるが、当初は県立保健所附属であった。運営は市の有志が行い、医師会の有志が別に臨床研究会というものを作り、自分の患者を入院させて主治医となっていた。

この当時、戦災で市街地の80%を焼失し復興のめどもたちかねていたときに、木造2階建て、85床のオープンシステム病院が日本に設立されたことは、特記されることだと思われる。

(徳山医師会病院二十周年記念誌より)